『戦時下の東南海地震の真相 ー中島飛行機半田製作所を中心にー』

真相に迫るみなさまの声

「昭和東南海地震の実体験を教えてください」。
戦争に隠された大地震の実際を知る調査を平成17年(2005)に1回目、令和3年(2021)に2回目を行った。さらに今年4月と5月、当会例会で「昭和東南海地震の実体験を聞く会」をもち、合わせて6百を超える回答を得た。うち単なる感想や不確かな伝聞を除くと、3百の有効回答が残った。これがこの大地震を体験した人の真実の声である。
その3百の声は当日の様子を生々しく再現してくれた。
「家屋が波のように揺れ」、「屋根の上の水槽タンクが爆発するように壊れ」、「二階建ての一階がなくなり二階部分が一階になり」、「地割れした道路から黒い水が噴き上げ」、「瓦礫の下から〝助けて〟の声がした」。
そして、「工場の長い廊下には、150体もの屍体が並べられ」、「火葬場が間に合わず土葬」、「軍隊式で屍体を何体も重ねて野火に附した」。
こんな1944年12月7日から8日であったのだ。

一瞬のうちに1万3千余軒の家が全壊。2万8千余軒の家が半壊したM8の大地震。しかし国はこう発表。「きょう地震はあったが被害は軽微」。戦況劣勢の戦時下、国は徹底して被害を隠蔽。情報も統制した。そして昭和東南海地震の真相は闇の中へ消えた。
三重から静岡にかけて被害はあったが最大の被害地は半田市。それも中島飛行機半田製作所に被害は集中した。しかしその実態は正しく伝わっていなかった。
「紡績工場の柱を撤去したから強度不足で倒壊」、「工場の出口を秘密保持のため狭くしてあり惨事が拡大」などの真偽も検証した。

これらを纏めた本が出版された。『戦時下の東南海地震の真相ー中島飛行機半田製作所を中心にー』である。著者は当会幹事でノンフィクション作家の西まさると、中日新聞半田支局の記者、高田みのりである。
ノンフィクションを書く西とジャーナリストの高田のコンビが、3百の声に耳を傾けながら書き上げた同書はルポルタージュの鋭い切り口をみせて真相に迫っている。
76年前に国が蓋をした大地震の真相。その蓋を3百の声が今、開けようとしている。