『中島飛行機の終戦』に今、なぜか注目が

拙著『中島飛行機の終戦』が、なぜか売れている。平成27年の本でもう7年も前の出版だが、今、息を吹き返したようだ。アマゾンで一気に売り切れになり入荷待ちとなっている。それではと、当会「はんだ郷土史研究会」に注文が来ている。当会でも送料無料で対応している。

久しぶりに読み返してみた。自分で言うのも気が引けるが、面白い。終戦直後の日本が分かる。中島飛行機という日本有数の軍需産業の飛び抜けた技術力に今更ながら瞠目する。

あとがきの最終部分を転記する。

戦争は、狂気を正当化する。そして戦争は科学技術を発達させ、優秀な技術者を生む。本書に関わり、それを実感した。
日本も米英諸国も、正義の名の下、軍用機という武器を造り続け、その生産量が戦争の勝敗を決めた。
技術者は、軍用機という武器の性能向上と生産に命を懸けた。戦闘機乗りは、軍用機という武器を命を懸けて操った。それは美しくも悲しい人間ドラマであった。
狂気の時代にもプライドを捨てなかった技術者もいた。「離陸はできるが着陸ができない飛行機は飛行機でない」と、木製の特攻専門機「キ115」を、ついに軍に渡さなかった人たちだ。この機は百二十機あった。技術者のプライドが百二十人の若い命を救ったとみるか、武器の出荷を拒んだ非国民とみるかは、読み手次第だ。

中島対興銀の経済戦争。日米の戦争。戦争に思いやりという精神はないのだろうが、せめて、ぎりぎりの人間性だけは保ってほしい。戦争を調べながら、そう思った。

 

機会があればご一読願いたい一冊である。

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