『中島飛行機の終戦』のあとがき
発売して丸2年、ボチボチ売れている(読まれている)のが、拙書『中島飛行機の終戦』(新葉館出版)である。嬉しいことに品薄の書店さんもあるようで版元は重版を決めて、その時期を待っているようだ。
嬉しい手紙が来た。意外にも「あとがきに感動して、時々、あとがきを読み返している」というものだ。本文を褒められたり貶されたりすることは再々あるが、「あとがき」は初めて。早速、著者のぼくも忘れている「あとがき」を読み返してみた。我ながら力一杯書いていて熱意をかんじる。
コピペするので読んでほしい。
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戦争は、狂気を正当化する。そして戦争は科学技術を発達させ、優秀な技術者を生む。本書に関わり、それを実感した。
日本も米英諸国も、正義の名の下、軍用機という武器を造り続け、その生産量が戦争の勝敗を決めた。
技術者は、軍用機という武器の性能向上と生産に命を懸けた。戦闘機乗りは、軍用機という武器を命を懸けて操った。それは美しくも悲しい人間ドラマであった。
狂気の時代にもプライドを捨てなかった技術者もいた。「離陸はできるが着陸ができない飛行機は飛行機でない」と、木製の特攻専門機「キ115」を、ついに軍に渡さなかった人たちだ。この機は百二十機あった。技術者のプライドが百二十人の若い命を救ったとみるか、武器の出荷を拒んだ非国民とみるかは、読み手次第だ。
中島対興銀の経済戦争。日米の戦争。戦争に思いやりという精神はないのだろうが、せめて、ぎりぎりの人間性(ヒューマニティー)だけは保ってほしい。戦争を調べながら、そう思った。
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以上である。
写真は拙書と不時着し部品を略奪された「彩雲」。この「彩雲」中島飛行機半田製作所で造られていたもの。