いまこそ、大碇紋太郎
迷走する大相撲界は滑稽なほどだ。
当初は特権階級意識を丸出しに「バクチをしたやつは申告しろ罪は問わない」と、相撲協会が法律だ! の勢いだったが、雲行きが怪しいとみると慌てて琴光喜を強引に首切り。
琴光喜はいったい何の罪で一方的に解雇なのだろう。たぶん一般的な裁判をすれば琴光喜は無罪で職場復帰を認められるだろう。
そんなことはどうでもいいが、大相撲界とヤクザ社会は密接な関係だったことは周知の事実だ。
江戸時代まではお相撲くずれがヤクザに―、は規定路線。そして相撲興行が収入源だった。
全国に網の目のように張り巡らされる侠客ネットワークを頼りにお相撲さんは地方巡業に行き、生活を維持できた。
荷車を引き、何十人というお相撲さんが歩いて巡業の旅を続ける。相撲甚句を歌いながら、次の興行地に入る。そこに元力士のヤクザ家業が迎えて歓迎。地元の人々はたまにみるお相撲さんに目を輝かせる。そしてハッピーな時間が構築されていた。これは反社会的行為ではないはずだ。
しかし、そうした2百年も3百年も続いた「いい関係」がどこかでおかしくなったようだ。
ヤクザと相撲界の関係を何も奨励するわけではないが、「悲しき横綱の生涯 大碇紋太郎伝」が描く明治時代の大相撲界はそれなりの規律や秩序を保った興行ルールで成り立っていた。
そこには「反社会的勢力」などとう、ややこしい勢力はない。それを古き良き時代などというと、白い目で見られるかもしれないが、「古き良き時代」を反芻することも今の大相撲界では必要かとも思っている。