中埜半六邸
先日、中埜半六邸の内部を見る機会があった。説明を受けながら細部まで見たのは初めてである。
私が記憶しているのは二所ノ関部屋が名古屋場所での宿舎を、この中埜半六邸に置いていたことである。大鵬が横綱、大麒麟が大関の時代であった。おそらく、私が中学生から高校生に掛けての時代であったと思う。朝早くに出掛けていって、大人の横から見た記憶がある。大きな大鵬が出てくると、大麒麟が水の入ったひしゃくを持っていった。とたんに、力士達の緊張感が増した。土俵が今の半六邸のどこにあたるのかは全く覚えていない。
「半六邸が今後どのようになるかは、まだ決まっていません」と半田市都市計画課の方は仰っていた。実際、これだけ大きな日本建築の母屋と4つもの蔵を残すのは大変だなと感じる。廊下一面の硝子戸は一枚物の特注サイズのようである。蔵の扉は一旦外から閉じたら、中からは開けられない構造であるとの説明を聞いた。蔵の中でころがっていたスダレを包んでいたのは昭和17年の新愛知の新聞であった。ランプの火屋(ほや)を入れていた箱もあった。ゆっくり見たいなという気持ちは大いにあったのですが、限られた時間以上に、手ごわい相手がいた。やぶ蚊の大群である。久しぶりの生血にありつけると、格好の攻撃対象となってしまった。