中島飛行機の滑走路
『中島飛行機と終戦』の反響が少しづつ出てきた。
嬉しいことだ。
一つの質問が来た。
「中島飛行機半田製作所の滑走路は現在はあるのか?」。
本にも載せたが昭和20年、爆破された滑走路と、
現在の滑走路跡を掲示する。
工場で造られた軍用機「天山」「彩雲」などは、滑走路まで牛に牽かれて来る。
そして、
この滑走路から1年8ケ月間に1417機が飛び立った。
飛び立つ先は豊川の海軍基地。そこから各戦地に配備されていった。
内緒話だが、
この滑走路から飛び立つ際、空へ雄飛でなく、海へ、ぽちょんと飛び込んだ飛行機も相当数あったと聞いた。
あって当然だろうね。
でも軍事機密だし、みっともない光景だから、人々は見て見ぬふりだったろう。
「万歳!!」あら… なしよ。てな調子だったのでしょうな。