乙川祭礼西山試し引き

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 乙川祭礼が一週間後に迫って来た。看板を来た祭り関係者を見ると祭礼が間近になったことを感じます。ちなみに、この地方では法被のことをカンバンと言っています。
 他地区と同じであるが、乙川地区でも最近は広い道が増えてきた。しかし、自動車などあまり通らなかった時代には道巾は狭くてよかった。人間が行き来できる、大八車が通れるだけの道幅があればよかったのである。だが、昔からある道でちょっと広い道がある。八幡社から直ぐ左へ曲がりこむ道。若宮社を西へ出て真直ぐ南へ伸びる道。そして、みゆき通りと言われた通りから旧杉浦医院までの道である。これには勿論理由があったのです。これらの道を山車(オクルマ)が通ったからです。今でもオクルマが通るのは若宮社からの道だけです。
先週の日曜日6日の日に西山がこれらの道の一つ、みゆき通りの道を試し引きしました。57年ぶりだと聞きました。昔と違い太い電信柱や各種の線、或いは道路の傾斜が大きな障害となります。結果としては、何とか通り抜けることはできました。しかし、みゆき通りから旧庵坂と呼ばれた道に直角に曲がるところでは大変苦労していました。
 みゆき通りにあった榎本薬局、現在のフレンド乙川の庭に「船のごと わが軒先に 山車停る」黙子 と書かれた句碑がある。これは故榎本茂久さんの作である。もし、生きてみえたなら、さぞかし喜ばれただろうにと思いました。
*写真は角を曲がった西山の山車と榎本黙子さんの句碑

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