伊勢湾台風

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 台風が近づいているというニュースを聞くと、大きさは、進路はどこだろうと気になる。南から紀伊半島へ向かっているかどうかが気になるのである。そのコースからそれていれば、少々大きな台風でもひと安心と思う。これは伊勢湾台風を経験した東海地方の人間が持つ共通の感じ方かもしれない。
 伊勢湾台風の時、私の家には5~6家族の人達が避難していた。避難してきたのは乙川のガードの近くに住んでいた叔父さんの家族とその近所の人達である。小さい時は台風になると、少しうれしかった。それは皆が避難して来て、我が家がにぎやかになるからであった。しかし、伊勢湾台風の時は小学校6年生になっていたので、ラジオの台風情報を聞きながら何か不安な気持の方が強かった。
 はっきり記憶しているのは台風が過ぎるまで、玄関の扉を押さえていたことである。その時、父が「もしこの扉がとばされたら、裏の扉をすべて開けるからな」と言われたことである。その後、台風の目に入ったのだろうか、風が止んだ記憶も残っている。
 台風が去ってしまったあくる日からは何日も何日も抜ける様な秋晴れが続いた。復旧のために自転車は役立つ道具だった。また散乱した瓦礫でパンクする自転車も多かった。そのため、父は自転車の修理に忙しかった。私は母から「まだ水が退いていないし、死体があるかもしれないから駅の方へは行ってはいけない」と言われていた。50年も前の記憶である。

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