内田佐七と花魁・代々山

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 絵入本学会の先生方と南知多に吉原遊郭を尋ねて行ったことは前回の通り。

 その日のこと。一連のお寺を廻り、内田佐七邸に行った。
 実は、実はだが、内田佐七邸の滞在時間も30分ほどしかとれず、また、今回のエクスカーションの狙いから外れる訪問地でもあったのだが、今回、南知多観光協会の日比桂子さんにさんざんお世話になったこともあり、ほとんど義理で立ち寄ったのだ。(内緒!)

 ところが奇跡が起こった。
 内田佐七がぼくたちを呼んだのかもしれない。
 こんな奇跡だ。

 ばくは内田邸へはもう7、8回も来ている。そう珍しくない。
 先生方が2階を見学に。2階は狭いので、ぼくは一人で下の小さな部屋にいた。
 佐七さんの寝室だという六畳ほどの部屋。押入れもある部屋だ。

 何気なく汚れた襖を見ていた。ところどころ穴があいた汚れた襖だ。襖に手紙や短冊が貼ってあった。
 見ようによれば、ボロ隠し、破れ隠しの紙に見える。
 ぼんやり見ていた、ぼく。

 えっ!
 「松葉楼!?」 
 「代々山!?」
 扇面に達筆な女文字、松葉楼の名代の花魁、代々山(よよやま)の手紙だ!

 「先生!」と叫ぶぼく。
 先生がいっぱい2階から降りてきた。

 奈良文華館の浅野館長。慶応の日比谷教授。その他もいるいる、源氏物語絵巻の第一人者、俳文学の大家、浮世絵研究の第一人者、京都祇園の研究者、エトセトラ、エトセトラ!

 日本の近世文学のトップ学者が20名だ。

 代々山の書いた扇面はたちまち解読、裸になってしまった。

     風かよふ 寝覚めの袖の 花の香に
                   かほる枕の 春の夜の夢

 まあ、色っぽい和歌一首。そして色香の漂うような女文字。
 内田佐七さんはニヤニヤとこれを眺めたのでありましょう。

 真面目な話です。
 当時の吉原は花街というより江戸の粋を集めた芸能界というべき街。そこで江戸の文化は花を咲かせ、芸能は成熟していった。
 花魁はスーパースターだった。

 そんな名店で遊べるのは大旦那クラス。お忍びの大名。旗本クラス。

 その名店の中でも吉原屈指の大店・松葉楼を豪商・内田佐七は贔屓にしていたわけだ。そこの主人は地元、須佐の出身者だろう。
 そして内田の贔屓の花魁は名代の代々山だった。

  春の夜の夢~ でありますな。

  ☆写真は代々山筆の扇面と「代々山」

  

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