勝海舟の真筆

ファイル 131-1.jpg

 勝海舟の真筆が乙川八幡社から出てきた。
 経緯は次のようだ。
 時は明治23年。明治天皇が陸海軍大演習で乙川村に行幸、白山丘陵で演習を統監された。この記念碑を建てるために走り回ったのが地元、乙川小学校の林和三郎校長であった。

 記念碑が建ったのは明治35年。同23年から22年あまりも後。さまざまな面で苦心惨憺していたのだ。
 その内容は、当会「別冊はんだ郷土史だより」に詳しいが、ともあれ、林校長らは碑の建立にこぎつけたのであった。
 
 明治天皇が愛馬・金華山を下りた場所、即ち「駐蹕御趾」(ちゅうひつぎょし)に建てる碑の碑文を勝海舟に依頼、その揮毫の現物がこれである。
 この揮毫を複写し石に刻んだ碑は、現在も乙川白山公園に建つが、その原文の行方は知れなかった。
 ところが、昨22年11月22日、乙川八幡社で発見され、表装をされ、『わが家のお宝展』で一般公開された。

 写真だから現物の迫力には及ばないが、さすが幕末の三筆。とくとご覧あれ。
 クリックすると大画面に。今回はあえてあまり縮小していない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です