半田空襲のこと
昭和20年7月24日半田市が米軍に空襲された。
前回のブログのように、中島飛行機半田製作所は壊滅状態となり、事実上、半田製作所は終った。
中島飛行機の関係施設、社員寮なども空爆され、ほぼ壊滅した。
上の地図にある既存の施設はすべて爆撃され壊滅していている。
米軍の戦力は、B29爆撃機78機。投下された爆弾は、250キロ爆弾など約2140個という。
一本木住宅44人、横川池付近49人、平池女子寮27人、山方地区29人、武豊町18人など270余人が犠牲となった。
*『中島飛行機の終戦』の付録に米軍調査団の報告書がある。それには爆撃の規模はほぼ同様だが、死傷者は(製作所内で)死者7名、負傷者3名と過少に書いている。また、米軍は「半田製作所は防空対策はほどんどしていない」と書いている。
戦勝国的傲慢な言い分だ。
半田市側の記述には、「当日は曇天のため半ば無差別爆撃に近い状態で、工場や集落が破壊された」とある。
ぼくは米軍の味方では決してない。反戦、厭戦の思想の持ち主だが、このような「半ば無差別爆撃」という感情的な記述には首を傾げたい。
2140個の爆弾を米軍は投下した。民間人も多く犠牲になった。許せない。しかし、半田市乙川の住民地区、いわゆる乙川本郷には1発の爆弾も落ちていない。乙川本郷の数百㍍隣の中島寮は壊滅させているのに。また、半田市街地にも1発の爆弾も落としていない。流れ弾もない。
憎らしいが米軍は精密爆撃をしていた。
不幸中の幸い、半田市には焼夷弾を撒き散らす必要はなかったようだ。
誤解を招いてはいけないので、しつこく言う。
憎むべきは戦争である。敵国ではない。
憎むべきは戦争行為である。敵兵ではない。
殺人を正当化する戦争をどうして肯定できるのだろう。
さて、
20年の7月15日に米軍戦闘機50機が来襲している。赤レンガ建物や工場を機銃掃射している。
『中島ノート』こよれば、この時はまだ七本木池にドラム缶は運ばれていない。
その後、8日間にドラム缶200本の隠し場所がアメリカに知れたわけだ。これは空撮で得た情報ではない。スパイ活動で得た情報としか考えられないが…
「米軍報告書」を読むと、半田製作所の弱点、空襲対策の無防備さを端的に指している。少々の対策も「蟷螂の斧だ」=カマキリの斧 即ち形ばかりで役に立たないと笑われていた。いわば「喧嘩相手にもならない」と言われているわけだ。
悔しいけど、これは国力の差ではない。
戦争に対する意識の違いと感じた。
戦争が好きで貪欲で一人勝ちを好む肉食系のアメリカ。
争いごとを好まず妥協を善しとする草食系の日本。
殴り合いはやらない方がいい。
写真は赤レンガ建物の銃撃の跡。ここは中島飛行機の倉庫だった。