名鉄カルチャーセンター
毎月第3火曜日は名鉄カルチャーセンターで「知多半島ふしぎ物語」の講座。きのうも開講した。
レジュメをみてびっくり、第80回だ。つまり6年半以上も続けているわけだ。毎月、毎月、それも知多半島の郷土史限定でよく続いたものだ・・・と我ながら感心する。
レジュメの控えをめくってみる。
第1回は、「宝順丸と知多の三吉」。2回は「清水次郎長と知多半島」。そして「明治天皇と陸海軍大演習」、「知多の黒鍬衆」と延々と知多半島ネタが続く。
ネタ切れなし。つくづくと知多半島は歴史の宝庫、ふしぎな半島だと実感する。
昨月の前回は「半田の豪商たち」を紹介した。そして今回はその「半田の豪商たちの道楽=文化遺産=旦那芸」などを面白く紹介した。面白くと言っても史実は曲げない。ここは真面目な講座で講談話ではない。
(だから講師は苦労する…)
半田の豪商がどんな道楽をしたのか聞きたい? 女道楽? そんなもの道楽のうちに入らない。
①半田のある豪商は大正末期、道楽で飛行機を2機買った。しかし置き場所に困った。木製のプロペラだけ残して座敷に飾り楽しんだ。【写真あり=ここでは非公開】
②半田亀崎のある豪商は、自分の庭に高さ1・8㍍、幅93㌢、長さ15㍍ほどのトンネルを掘った。何の意味もないトンネルだ。「かくれんぼ」か「秘密の基地」にでもして遊んだとしか思えない、まるで使途不明のトンネルだ。【写真あり=ここでは非公開】
商売とは無関係、道楽としか思えないエピソードは、他に③、④、⑤といろいろと面白いくあるが、ここで書いてしまうと受講料を払ってカルチャーに通ってくれる人に悪いので伏せておくが、ともかく昔の豪商の道楽は桁外れだった。
名鉄河和線に1ケ所だけトンネルがある。南加木屋と高横須賀の間、わずか10数㍍の長さだ。開通工事の時、ここは堀割にした方が工事も早く安価で済むのだが、そこに待ったをかけたのが半田の豪商。
どうやら「いやだ、いやだ、堀割じゃだめだ。鉄道にはトンネルがなくちゃ嫌だ!」と駄々をこねたのか、お金にものを言わせたのかは分からないが、ともあれ名古屋鉄道に無理を言って、このトンネルを造らせたのである。
それから・・、もっともっとあるがこれくらにしておく。
名鉄カルチャーでは毎月、こんな「知多半島のふしぎ物語」を話している。
写真=保下田久六が清水次郎長に討たれて死んだ庄屋家の門内。次郎長は豊かな知多半島へ来て稼ぎ、風向きが悪くなると三河へ逃げた。
明治になり、次郎長は知多の豪商(盛田+中埜酢店)に頼まれ、沼津や清水で「中泉現金問屋」なる店の経営に協力した。但し、こうして商売を熱心にしているのは豪商の番頭さんたち。主人は道楽に専念である。
道楽ばかりで商売をしない(させてもらえない)主人のいる大店は潰れずに長く残っている。・・・これも史実だという。