名鉄ローズ倶楽部が

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 名鉄ローズ倶楽部という郷土文化を学習する会がある。この6日(月)、半田の中島飛行機跡と豊田佐吉の足跡を訪ねて来た。はんだ郷土史研究会が案内することになった。
 担当したのは西まさると吉田政文。当初20数名とのことだったが変な気候のせいか病欠が多く、13名となったそうだ。
 それでも元気に「出発! 進行!」。
 まずは元の中島飛行機工場跡地を見ながら滑走路跡へ。エプロンの丸い跡しか残っていないが、思えば中島飛行機半田製作所の遺跡は本当にこれだけしかない。跡形もない。書類や図面など文書類は西まさるの所に少しあるがそれが全部だろう。
 何か複雑な気持ちになる。

 七本木池の池畔に行く。ここは半田市の外れ。半田市街地から車で15分はかかる。今は住宅地だが当時は原野だった。

 昭和20年7月24日に米軍の空襲があり、この七本木池畔で多くの婦人子どもが亡くなった。ここは一面の雑木林で何もないところなので空襲の時の避難場所になっていた。
 そしてその日、空襲警報を受けた婦人たちが子どもを抱いてここに避難して来ていた。そこに爆撃。多くの民間人が犠牲になった。
 なぜ丘陵地の雑木林を爆撃したのか。
 たまたまその8日前に20数本のガソリン入りドラム缶をここに隠していた。それがなぜかばれていたのだ。米軍はドラム缶を爆撃。その近くに婦人子どもが避難していた。木っ端みじんである。

 終戦となってからもこの池畔に鬼火が出て、消えなかったという。犠牲になった人たちの怨念のように。
 そこで有志が大きな慰霊塔を建ててその霊を慰めたのである。写真がそれ。「空へ」と彫ってある。

 それにしても疲れた。久しぶりに30分も歩いた。杖で、足を引き、ああ、疲れた。
 3枚目の写真は「佐五銀」で昼食。そして60分ほどの座学。
 中島飛行機と豊田佐吉を話した。

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