変化する日本の常識。ぼくの常識。

 ぼくの友人に東京は葛飾柴又生れの男がいる。と言っても車寅次郎ではない。名門、両国高校から東京大学へ、今は大会社の役員だ。そんな絵に描いたようなエリートの彼の趣味は、葛飾の映画館で『男はつらいよ』を観ることだという。
 葛飾の映画館。
スクリーンには、寅さんとマドンナの恋の一場面が映し出されている。マドンナは寅さんに好意をもった。じっと寅さんを見つめるマドンナ。それに気付いた寅さんは、細い目を開いたり閉じたりして、どこか逃げ腰。ご存じの名場面だ。
 そこで葛飾の映画館内では声が掛かる!
 「寅ちゃん! 今だよ! 今言うんだよ!」と、恋を告白しろとの催促の声。声の主は葛飾のおばちゃん。スクリーンに向かっての絶叫だ。
 また、別の声が。
 「寅ちゃん! しっかりおし! 男だろう!」
 彼もおばちゃんたちの中で手に汗握って「そうだ、今だ!」と小さく呟く……

 先日、ある雑誌社の3人のお嬢さんを前に、この話をした。絶対にウケると思って話すのだが何やら雰囲気が悪い。ことに2人のお嬢さんはポカンとしている。
 「ん、あなた、寅さんの映画を観たことないの?」
 「ありません」
 「じゃ、寅さんを知らないの?」
 「知りません」。
 何と、寅さんを知らない日本人がいた。それも2人、ぼくの前にいる。
 ガ~ンと打ちのめされたような気になった。これをカルチャーショックというのだ。

 彼女たちを責めるつもりでこれを書いているのではない。自分自身を責めるのだ。「寅さん」といえば日本人全員があの四角な顔を知っていて、リリーに恋をしていて、恋に破れて旅に出て…… 
 昔、こんな短歌を作ったことがある。
  『くれないのリリーの肩に手もやれず ああ寅さんよ飲もうじゃないか』
 こんな歌、通用しないということだ。ああ、ぼくの常識はすでに日本の常識でなくなっていたのだ。

 今、「べっ甲亀と半田鴉根弱者救済所」を本にすべく格闘中。3月初旬には出版のつもりだが、その原稿の中に、僕たち?には常識的な人名が注釈なしで数多く出てくる。例えば「山岡鉄舟」「渋沢榮一」。さらに「吉良仁吉」「森の石松」「唐人お吉」。これらには注釈が要る?
 ちぃと頭を抱え、そして、お嬢さんの顔が浮ぶのである。
 さよう、日本の常識は変化しているのである。ああ~

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