大信紡績顛末記
7月の『ふるさと講座』は珍しく現代篇。従来は昔々の知多半島の郷土史が主だったが、今回は昭和20年代から40年代、半田で卓越した優良企業の「大信紡績」の誕生から閉鎖までの「顛末」を発表してもらった。
初めて当会例会に出席される方が30名近く来場。久々の100人近い講座となった。
新規の方の多くは大信紡績OBの方々だ。驚くのは会社閉鎖から既に40年も経っているのに、それに動員をされたわけではないのに、噂が噂を呼んで集まって来られた方々だ。
ここに大信紡績の愛着(誇り)が見える。
簡単に書くと、同社は昭和21年半田市で創業。織物のブームに乗り順風満帆の急成長。一気に従業員数1000人を超える大企業となった。
ここまでならよくある話。大信はその内容が凄い。「企業は人なり」を地でゆき、地方出身の女子工員のために「女子学園」「女子高校」やがて「通常高等学校」も創設、教育に尽力する。
企業は利益を出すだけではだめだ。人材を育成する義務もある。まして地方から出てくる若い女子には親身になって教養を得る環境を提供するのも企業の務めだーとの考えだった。
また、女子寮や社宅も同業他社が「大部屋で雑魚寝」が普通の時に、「社宅は一戸建て、寮は最高のもの」を社員に提供した。
いわゆる「女工哀史」とは正反対の思想を持った企業だったのだ。
この点を当時の労働基準監督官だった小栗利治氏は「これぞ模範企業。この地方で突出した労働福祉環境をもっていた」。そして小栗氏はこの講座が開かれることを知ると、「俺にも少し喋らせろ」と黙っていられないほどだったから大信紡績の値打ちが分かる。
紡積が斜陽化。石油ショックなど構造不況もあり大信紡績も経営不振となった。しかしさすが大信。全従業員の雇用先を完全に確保、退職金や手当なども満額支給し、昭和49年12月、会社を閉じた。
利益優先の企業が溢れる中、あっぱれ! としか言いようのない会社であった。
社長は大林信次さんという。この会社で働いた人たちもそんな立派な精神を誇りに思うのであろう。当会に続々と集まってくれたのだ。せちがない現在、利益追求より人材の教養アップに金をかける会社があるだろうか、と思う。
写真の講座=講師は当時の同社労組幹部の山口孝司さん。と会場の模様。当日は久々に100名に迫る活況。
外山信一郎と申します。大信紡績の常務取締役をしていた外山一青の長男です。偶然、2,016年7月26日に開催された「大信紡績顛末記」講演のネットページに行き当たりました。誠にお手数ですが当時の講演資料があれば是非見せて戴きたく、お送り戴けないものか? メールさせて戴きました。コピー、郵送代など費用が掛かる場合は勿論当方で負担致します。電子情報でも勿論結構です。 勝手なお願いながら、何卒宜しくお願い申し上げます。