学徒動員
『中島飛行機の終戦』をお読みいただき、何通ものご感想のお便りをいただいている。
ことに多いのが学徒動員で中島飛行機に行かれた方のお話だ。諸氏にとっては青春そのものだったから当然だろう。
掲載の写真も当時の動員学徒の方からお送りいただいたもの。
学徒諸氏のお話の核心は「食い物」につきる。
彼らは殆んど全員が、13歳から17歳である。腹ペコの少年少女たちだ。そして飛行機の生産に夢中になって関わっていた。
「食堂のめしはドンブリ碗に8分目ほどの赤い色のめし。おかずはイナゴの塩茹で。時々名刺ほどの大きさの海苔が出た」。
だが、学徒少年は、「腹ペコを我慢するのが御国のため」と思い、我慢していたわけだ。
あんなに我慢したのに戦争に負けた。-我慢が足りなかったのかな。
「こんな子どもたちが造った飛行機はちゃんと飛びましたか」
という質問に、
「立派に飛んだ。学徒は優秀だ」と答えた中島飛行機の技術者もいれば、
「習得期間が1年にも足りない子どもたちに、満足な仕事が出来たと思うかね」と、逆に問いかけられたことあった。
ともあれ、述べ約4万人の動員学徒の少年少女が半田製作所で働き、約1345機の軍用機を離陸させたことは史実だ。
そして飛び立った飛行機の多くが帰って来なかったことも史実である。