岡崎市保護司会

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 脳梗塞でダウン。
 本来なら半身不随でも仕方のない状態だったが、天の助けか、仏の情けか、思考回路と生意気な口とキーボードを打つ指だけが正常(?)のようだ。
 もう少し、ましなものを書け、ということだろう。

 ぼくが生かされた因の一つに、榊原亀三郎のPRがあるように思えてならない。
 倒れる翌日は、大阪府に呼ばれ、入院中の11月14日は知多市に呼ばれ、そして12月3日は岡崎の保護司会さんが鴉根に来てくださり、それぞれ「榊原弱者救済所」の話をせよとのことだった。
 もし、ぼくが・・ などと考えるのも嫌だが、ともあれ無事に講演をすませている。

 写真は岡崎からのご一行。現地を視察され、鴉根区民館で。(写真)
 みなさん、熱心に救済所の歴史と意義を聴いてくださった。

 ぼくも久しぶりに立って話せた。但し、10分ほどしかもたなかった。

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