年末回想① 男性看護士
年末となると1年を回想したくなる。
ぼくの場合は脳梗塞という思いがけない大病を発症、はじめて長期の入院をしたことが重大ニュースのトップだ。他人の病気の云々など読みたくないだろうから、みなさんが余り経験のないだろう病院の内輪話をしてみよう。
50日も入院していると、患者としてはプロになる。最初の1、2週間は、できるだけ模範的な患者と思われたいので、従順に振舞う。但し、2、3週間もすると医者や看護士のアラが見えてきて、時々いじわるを言いたくなるものだ。ことに、ぼくはジャーナリストの端くれ、従順ばかりじゃ飯が食えない。
医者の悪口は今度にして、きょうは看護士を標的にする。
最近、男性の看護士が増えた。だから看護婦から看護士と名称も変わった。その男性看護士に、ぼくも看護のお世話になった。
ストレートに言うと看護士は女性に限る。男性看護士に良い思い出は少しもない。
なぜだろう? と病院のベッドで考えた。すぐに答えが出た。男性看護士は、「看護するより治療をしたい」という姿勢なのだ。だから「やさしさ」がない。というか患者からはそれが感じられないのだ。
その点、女性看護士は看護を本分として患者に接する。だから「やさしさ」を感じるのだ。
入院中、何十人という看護士さんと接した。お喋りなぼくは、特に女性看護士さんとは積極的に話をした。女房に「ナンパしてるの?」と笑われたほどだ。
そして分かった。
女性看護士は幼い時から、看護婦という職業に憧れ、「看護婦さんになりたい」と願ってナースになった。いわば天職に就いたのだ。だから患者に対する接し方も「古典的」で「やさしい」。そう思った。
転じて男性看護士さんは、「医療関係者になりたい。ほんとうは医者になりたかった」という思いからだったことが、話していてよく分かった。だから、患者の看護より治療。「情より理屈」が先行している。
一つ例をあげる。
ぼくの血糖値がいつもより下がった。女性看護士さんは「よかったね。がんばったからね。だんだん良くなりますよ」と言ってくれた。
ところが男性看護士さんは、「薬を飲んでいるからね」。下がって当然だ、と言わんばかりだ。
男性看護士の言うことが正解だろうが、どこか違うよね。
ある日のこと、男性看護士がぼくに「この薬を投与されているが、別の薬がいい」と言ったので耳を疑ったことがあった。また、鼻から酸素を吸入する管について、「こんなものは気休めですよ」とも言った。つまり医師より自分の医療知識が高いと言いたいのだ。ああ!
ついでにもう一つ。
恥ずかしい話だが、入院中ぼくは小便が自力で出来ず、管で尿を取る〝導尿〟をしてもらっていた。看護士さんにチンチンを握られ、尿道に管を入れられるわけだ。
不思議なことに、恥ずかしいその行為だが、女性看護士さんにされると素直に普通に受け入れられる。ところが男性看護士さんだと妙に恥ずかしい。ほんとうは逆だと思うのだが、不思議な心理だ。
これも「やさしさ」の差なのだろう。
年末雑感、病院での内緒話でした。