年末雑記 西まさる
一年を顧みて、何か書こうと思った。
すると反射的に脳裏に浮かんだのがこの格言。
「少年老いやすく 学成りがたし」。
笑っちゃいけないが、ぼくも紅顔の美少年だった。
それから50年・・、ぼくは厚顔の老年になった。
言うまでもなく、学は成っていない。
負け惜しみに、学が成らなかった言い訳を書こう。
○
ぼくが少年だったころ、不幸にも、ポマード頭の国語教師に目をつけられた。
教師は何を血迷ったのか授業で作ったぼくの短歌を褒めちぎった。教師は日本最大の短歌結社「アララギ」の会員。歌詠みだった。
教師はぼくの手を引いて、アララギの歌会に連れていった。
学生服の中学生をアララギの歌人たちは珍しがって、ガキの作った間違いだらけの歌でも貶さなかった。ミカンをくれたりもした。
ぼくはいい気になっていた。そして数ヵ月後、大変な不幸が起きた。
歌会にアララギの主宰者・土屋文明が来たのだ。
文明先生は学生服のぼくの頭を撫でてくれた。そしてぼくに、アララギの文明選歌欄に作品を投稿しろ、と言ってくれた。
のぼせ上がったぼくは、不幸にも「大人になったら歌人になろう」と思ってしまった。
その日までは外交官志望だったのに…
青年のぼくは歌人になっていた。
その頃の師匠は近藤芳美。先生の鞄持ちをして何度か旅をした。
地方の歌会に行くとスター近藤芳美の傍にいるぼくも先生扱いをしてくれる。
ぼくはのぼせあがっていた。
それから30年。ぼくは歌を忘れていた。
カナリヤは歌を忘れてもカナリヤだが、歌を忘れた歌人はもう歌人でない。
道を間違ったぼくは、半田市の片田舎で馬齢を重ねている。
来年は短歌を作ってみるか… そんなことを思っている。
写真は大阪・法善寺の水掛不動。
願掛けし後は無口な君に添い 襟立てて行く戎橋まで