徳川慶喜の猟場と彼の小遣い
「幸せの風を求めて 榊原弱者救済所」の取材で静岡市北安東に行ったことは、同書のあとがきで書いた。その北安東と慶喜の写真があったので紹介する。
「北安東は徳川慶喜がいつも猟に来ていたところで、戦前は陸軍の錬兵場だった」と聞いていたのだが、まさに後の山並みの感じなど、ここはかつての北安東と言い切れそうだ。
ところで、この猟犬は日本犬ではないようだ。ビーグルとかポインターといった種類だろうか。―ぼくは犬の種類に詳しくない―
で、明治中期と思われるこの頃、外国種の犬も日本にいたわけだ。こんなつまらないことを考えながら写真を眺めている。
さらに何かないかと「徳川慶喜家扶日記」で猟と猟犬を探していたら、面白い記載を見つけた。
慶喜へ毎月2千円の送金があった記録だ。徳川宗家からである。どういう名目なのか、さらに調べてみるが、毎月2千円というと今なら5千万円くらいだろうか。慶喜が自転車や狩猟やカメラ、油絵など当時の最新の趣味で優雅な暮らしをしていたことは知られているが、その費用がこれだったわけだ。
「慶喜の暮らしと小遣い」。面白くなった。