懐かしの金沢刑務所

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 ああ、懐かしい金沢刑務所!
 ぼくはこの門を、この塀を見て育った。
 門に向かって右へ20米位の所にぼくの家があった。むろん塀の外だよ。

 ここは博物館明治村。21日に、はんだ郷土史研究会の人たちと訪問。ぼくは一目散にここに移設されている金沢監獄正門に走った。
 あった、ぼくの故郷だ。

 金沢の人はこの刑務所を「小立野(こだつの)刑務所」と呼ぶ。ぼくの家のある場所は、通称「小立野刑務所正門前」。

 当時、この刑務所の裏手に無名の作家が住んでいた。
 五木寛之だ。
 まだ新人賞もとれぬ五木は「小立野刑務所裏」の東山荘というアパートに暮らし、日夜、原稿用紙と格闘していた頃だ。
 一日、50円の小遣いを握って、コーヒー店に行こうか古書店に行こうか迷っていたという青年・五木だった。
 文学少年だったぼくは五木の存在を知って東山莊に押しかけ、彼に文学論争を仕掛けたことも懐かしい思い出だ。

 時はめぐり、
 「小立野刑務所裏」の作家・五木が日本を代表するベストセラー作家になり、
 「小立野刑務所表」の作家・西が無名のまま、なぜか知多半島に棲み、貧乏生活を送っている。
 まぁ、何とか刑務所の中には入らずに済んでいるがね。

 小立野刑務所では、朝6時になると塀の中から、お~、お~、と叫び声に似た音が聞こえていた。子どもだったぼくは、その声が不気味に聞こえた記憶があるが、そんなもの、とっくの昔に忘れていた。

 何十年も経った頃。少し傷心気味だったぼくは、何となく五木寛之の小説を読んでいた。そこに小立野刑務所裏にも聞こえた例の音声のことが書かれてあった。
 その音声は、受刑者たちの朝の体操の掛け声だったとこの時に初めて知った。

 そして、その音声、
 何十年も聞いていないその音声。
 お~お~! がぼくの耳にこだますると、涙が頬を伝い、しばらく止らなかったのだ。

 そんな遠い記憶が甦った。

 お~お~!。 

 

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