我等職場の神風特攻隊たらむ
『はんだ郷土史だより』7月号で昭和20年7月24日の半田空襲の〝秘話〟を書いた。
秘話①は、7月15日以降に七本木池畔の雑木林に密かに隠した中島飛行機のガソリン入りドラム缶200本が、何故か24日に米軍の空襲で爆破されたことだ。民間人20数名が犠牲になった。
極秘に隠したはずのドラム缶がわずか数日で空爆された。誰が米軍にその場所を教えたのだ。
秘話②は、その七本木池畔で死んだ民間人の怨念か、終戦後も池に鬼火が…。
その記事を書くために中島飛行機半田製作所の資料をあれこれと引っ張り出した。そのうち一枚、戦時中のポスターが出てきた。
「必死 必中 撃ちてし止まん」「我等職場の神風特攻隊たらむ」。
このポスターは神風特攻隊が創設された以降、昭和20年になってからのものだ。「神風」はいかに美化しようが日本軍が普通の戦闘では戦えなくなったから採った自爆戦法である。(飛行機1機+人命1つ)で(敵艦1艘撃沈)なら採算が合うと考えたわけだ。
何をか言わんやである。
その思想を職場に持ち込んだのがこのポスター。
ああ戦争。