戦死

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 「I AM KENJI」もむなしく、後藤さんは殺された。

 人間は、なんと成熟しないものなのだ。
 古代から殺し合いの連鎖。最後は地球上に誰もいなくなるまで殺し合うつもりだろうか。

 世に非暴力というものは存在しないのだろうか。と、つくづく思う。
 ガンジーがいた。
 ガンジーーの七つの大罪を思い出した。

 原則なき政治(Politics Without Principles)
 道徳なき商業(Commerce without Morality)
 労働なき富(Wealth without Work)
 人格なき教育(Knowledge without Character)
 人間性なき科学(Science without Humanity)
 良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
 献身なき信仰(Worship without Sacrifice)

 とても小さな規模だが、ぼくは上の全ての罪を犯している。
 この七つの罪から逃れられる自信もないが、せめて、非暴力を気取って、黙って、この世の推移を見守るしかないのかな。

 後藤健二さんはジャーナリストとして立派な仕事をした。
 彼の死を思った時、ぼくはガンジーを連想した。ガンジーの七つの大罪の言葉を思い出した。
 ぼくに、それ思わせたことが、後藤さんのジャーナリスト力だ。

 「中島飛行機の終戦」を書き終った。
 寂しかったのは、戦時終盤、中島に来た軍部よりの製造命令は、全木製の飛行機だった。「キ115」「彩雲改」だ。
 機銃も積まない木製の飛行機は爆弾だけ抱いて飛び立つ。
 機体が軽すぎて着陸はできない。飛んで行くだけの飛行機だ。

 お分かりでしょう。特攻専門機だ。
 帝国陸海軍は、ここまで窮しながらも戦争をやめようともしなかった。寂しい話だ。

 だが、幸い、中島飛行機の技術者が「離着陸できない飛行機は、飛行機じゃない」と出荷を拒んだ。

 この技術者の意地、プライドが、結果的に多くの若者の命を救った。

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