技術の中島飛行機の誇り

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 拙書『中島飛行機の終戦』をお読みいただいた方より何通も感想文が届いている。
 その一つ、富士重工の社員さんからのものが興味深いので、その「エキス」だけ紹介させてもらう。

 富士重工では、「中島飛行機の末裔であるという誇り」を持つ人と、「(結果的には敗残したのだから)それを口にするのも嫌」という人がいるという。
 面白いのは、「ゼロ戦は三菱の飛行機」と認める人と「そうじゃない、大半は中島飛行機製だ」という人と分かれる、という話だ。これは、「少し昔の話で、現在の社員に旧中島飛行機の自覚もない」という但し書きはあるのだが、一昔前は、呑むと、「必ず中島飛行機の話をする先輩がいた」というから、富士重工に中島飛行機のDNAは残っていたようだ。
 その論調は、「世界をリードした技術力」だという。そして「その卓越した技術力は、GHQに押さえ込まれた」というオチがついていたとある。

 また、拙書に書いた「イトカワ」の一連に溜飲が下がったとあった。
 そのあたりから類推するに、「イトカワ」のことは社内で口にも出来ないタブー(まさか!)だったのだろうか。

 中島飛行機は無給油で太平洋を横断、アメリカ本土を空爆できる超大型爆撃機「富嶽」を設計していた。写真の飛行機である。
 終戦前に一度でいいから飛ばしていれば、中島飛行機のDNAも違ったかたちで残っていたかもしれない。

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