新吉原遊郭の謎/雑誌『東京人』に掲載
「新吉原遊郭を支配した南知多衆」は、ほぼ10年ほど前から調査に入り、その実体のおおかたが判明している。いわゆるエビデンス(証拠)も入手している。
それは数年前から『知多半島郷土史往来』などで発表しているのだが、
明暦4年に元吉原遊郭が浅草田圃の今の場所に移転した時に、「それまでは、まるでいなかった尾張の人が一気に吉原に現れ、揚屋、妓楼、茶屋ばかりでなく、一般の小売商店にまで進出した」ことが明らかになっただけで、
問題は、「なぜ尾張衆が・・」はまだ、推測の域を出ていない。
今回は雑誌『東京人』に発表の機会をもらった。とはいえ紙幅が限られた月刊雑誌だから、言いたいことの半分も書けないが、「南知多衆が新吉原に進出した事実とエビデンス」は伝わったはずだ。
『東京人』は、ぼくの他、渡辺憲司氏ほか吉原遊郭研究者のオンパレード、読み応えのある特集だ。
ところで、庄司甚右衛門が開基したとされる元吉原遊郭が幕府の都合で浅草に移転された。その際、既得権益を持っていたであろう甚内ら既存の有力者を押しのけて、尾張・南知多衆が新吉原遊郭の中心に座った。
なぜ、そんなことができたのだろう。
ぼくと一緒に考えてみる気のある方はご連絡願いたい。
「吉原遊郭史」に残る研究ができる。