榊原弱者救済所
ここでは、明治32年から30年間、世間から白い目で見られながら、孤児・捨て子、身障者、出獄人、家出女性、極貧者などを救済した。その数、実に1万5千人。主宰者は榊原亀三郎。元ヤクザの民間人。この施設は、日本初、日本最大の民間人による弱者救済施設である。
ようやく世間に認知された大正末期、亀三郎は事故死。
そして戦争。
社会的弱者、身体的弱者など日本国民と見なさない、嫌な世相となった。
終戦。戦後、この榊原弱者救済所は忘れられていた。人は弱者救済どころか、自分が食うのにいっぱいだったから仕方がない。
救済所は雑木林となっていく。
写真は、大正元年の尾三新聞。救済所を訪問した主な人の名だ。錚々たる顔ぶれが半田の山の中まで来ている。それも全国各地からだ。この時代のビックネームは「弱いものに目が向いていた」のだ。
ちなみに鉄道の駅(名鉄の成岩、国鉄の半田)から鴉根の救済所までは、よい道がなかった当時、徒歩で小一時間、人力車でも同じくらいはかかったろう。
今、ようやく、榊原弱者救済所跡保存会が出来、保存事業は進んでいるが、「更生保護」とか「福祉」という地味なもの。人気のあり事業ではない。建前は全員が頷くが、さて実質的な協力といえば、みなさん控え目。昔のビックネームのようなことはない。
ただ、保護司関係者が、時々、視察に見えているのだけが救いだ。
さて、10年後はどうなっているのだろうか。
写真は新聞と移築前の芳名碑。芳名碑は大正9年建立。この救済所を支援してくれた91名の名がある。