歩く歩くどんどん歩く佐吉
佐吉小伝⑥
佐吉少年はとにかく歩いた。12歳の時は故郷の山口村から岡崎の岩津天満宮まで、丈夫な体になるようにと祈願のため歩いた。直線で約50km、往復では徒歩で150km以上はあるだろう。こんなに歩けられれば健康は太鼓判である。19歳の時には、これは江戸時代じゃないかと思うような話がある。東京まで徒歩で往復している。その時は東海道線がまだ全線開通していなかった。だが、もし開通していたとしても、そんなお金がなかったので歩くしかなかっただろう。
尾張各地に残る話も、青年佐吉がふらっと歩いてやってきて、しばらく滞在した後に歩いて名古屋方面に帰っていったというものである。稲沢には青年佐吉が北の方から歩いてやって来て、四辻の角の石に腰を掛け一服したというものまである。
もちろん、青年佐吉の財布には充分なお金が入っていなかったので歩くしかなかったのが事実に近い。佐吉は、ともかく歩くことが好きだったのだろうか。発明が好きだったように。
* イラストはポプラ社「豊田佐吉」より、佐吉が友達の佐原五郎作と東京へ行った時のイメージ