母の誕生日
今日はなぜか良いことが幾つかあった。
一つは、苦労して編集をしていた『古典の小径』外村展子著が出来た。内容も装丁も素敵な本、一流の本だ。嬉しかった。
一つは、ある人が良いものをくれた。あるものはここでは書かないが、すごく助かった。
一つは、『はんだ郷土史だより』に広告が減っているのを気遣ってくれた方が「応援してやろうか」と言ってくれた。とても意外な人だったので驚いたり喜んだり。
もう一つ、二つあったが省略!
何で今日はいい日なのか? と思ったら、長く忘れていたことを思い出した。今日はぼくの母の誕生日だった。
大正12年(1923)9月1日。ピンと来る人は少ないだろう関東大震災の日である。えらい日に生まれたものだ。産まれた所は石川県の金沢だから被災地ではないが、日本中が大騒ぎしていたことだろう。
だから母の人生も震災の被災者・・、ではないが、ある意味、戦争の被害者、決して幸せな人生ではなかった。
戦時中、若い母は妻子のある男に騙されていた。軍需工場に勤めるその男は、戦争が終わると妻子の許に帰って行った。
残された母は子を産んだ。その子がぼくである。
そして母は結核を患い、長期療養。7歳のぼくを残して亡くなった。29歳だった。
ぼくの記憶の中の母は、朝顔の柄のネルの寝間着で病室にいる青い顔のお母さんだ。でもいつも微笑んでいた。
母が亡くなって実家に帰った時、仏間に琴が立てかけてあった。
「かあちゃんは琴が上手だったんだよ」と祖父が言った。母の供養のために出して来たのだろう。ぼくは暫くその琴を見ていた。
ずっと後になって、こんな短歌をつくった。
金泥の布に包まる母の琴 琴弾く母をわれは知らざり
なぜか、良いことの幾つもあった今日、こんなことを思い出していた。