比丘尼 びくに
『忠臣蔵と江戸の食べもの話』を読んだ人から、「比丘尼って本当にいたのか」「本当に売春婦なのか」と質問メールが入った。
この本は、忠臣蔵をナビゲーターにした江戸の食べものの話なのだが、初めての質問がこんなところには、ちょっと驚いた。
比丘尼(びくに)とは江戸初期から中期に実際に存在した遊女だ。遊女だ、と断定するのには、少し躊ちょするのは、元々はちゃんとした女僧=尼さんだったからだ。
昔のお寺や神社は総じて貧しかった。
今のお寺や神社は総じて裕福だ。ぼくの知っている坊さんや宮司さんはみんな高級車に乗っている。ある人はセルシオ。ある人がベンツ。
「氏子の目があるのでね」と、「恥ずかしけどクラウンで辛抱」の人もいる。(=もちろん実話)
とても儲かるのだ。
昔は特別の大寺院、大神社を除けば、食うのがいっぱい。それが普通だった。
町の家々を廻り、門に立ってお経を読み、米や小銭の寄進を受ける「托鉢」は、物乞いともいえる。
当時、
食うに困った家は子どもを捨てた。
道端や橋の下。そしてお寺に捨てた。
そんな子が、いっぱいいた。いっぱいだ。
貧しい家の女の子が尼になり、「托鉢」という名の「物乞い」に出る。
ある時は、「涅槃図」や「地獄絵」を売り歩く。
美しくも悲しい声で唄いながら売り歩く。
修行でもあるが、生きるためでもある。
そして、ある若い尼さんがひもじさのためか、あるいは犯されたのか……
身体を売ってしまった。
素人の尼さんだ。好き者の間に人気が出ないわけがない。
「比丘尼」は人気になる。
これを見たプロの遊女がほおっておくわけはない。
自分で髪を下ろし、ニセ尼さんになってショーバイ、ショーバイ。
元禄の頃は、比丘尼ブームの盛りであった。そして、あの大石内蔵助も比丘尼を買いに江戸・赤坂へ出かけていた。
詳しくは『忠臣蔵と江戸の食べもの話』で。ネット書店に注文すると明日にも届く。たった、1575円。
アマゾンも、楽天も、hontoネットも、紀伊国屋も、送料無料。
ぼくもショーバイ!
*写真は比丘尼。まだ少女のようだ。悲しいが史実だ。