淀殿はどこに行った
気になりながらブログを更新できていなかった。
正味、しんどかったからだ。罹患以来、ぼくの能力の低下は著しい。何がダメかというと、頭の抽斗が開かない。頭のそこに知識や記憶のタンスがあるのは分かるのだが、どの抽斗を開ければいいのか分からないのだ。そこでイライラ。
体力の低下はしょうがないが、これも困る。3時間も机に座っていると立ち上がるのに1、2分はかかる。これは情けない。
てなことで、例月の雑誌のコラムが2本。郷土史往来の発行月、単発の執筆依頼が小さいのが2本。これくらいの仕事は、元のぼくなら、せいぜい1週間だが、これが4週間かかった。
それに加え、『知多半島郷土史往来・5号』を出した。来週半ばには発行できる。
さて、その巻頭に「淀殿は知多半島に逃れていた」を書いた。
大坂の陣の後、淀は千賀水軍・稲生の手で知多半島の師崎に逃れて匿われていたのだ。
家康ー織田ー佐治ー千賀ー江ー初 そして茶々。これがキーワードだったことを突き止めた気分だ。
自信を持って書いた。分かりやすくするため、あえて小説タッチで書いた。
ぜひ読んでほしい。