烏八臼(うはっきゅう)
南知多町正衆寺にある千賀家の墓所。
大小30基近い墓碑がある。
写真にみるような高さ2メートルを超す墓は代々の千賀志摩守のもの。
7月7日に絵入本学会、7月15日に熱田の森文化センターで踏査した場所である。
その時、すべての大きな墓の墓標の一番上(写真㊥と㊨)に「変な字が刻んである」。
「何という字だろう」。
「梵字に見えるが見たことがない」。
など、話題にはなったが、そのままだった。
7月24日、今度は豊橋創造大学の島田先生をご案内した。
「変な字だな?」と腕組みされたが、こんなことを「わかんなぁい~」で済ます文学博士ではない。
翌日、メールが。
「これは、烏八臼(うはっきゅう)という国字で、室町時代末から江戸時代後期の墓標等に見られるもの。字の意味の解釈はまだ確立されていないもので云々・・」との連絡。
面白がってネットでいろいろと調べたが、まったく分かりにくく、珍しい字であることだけは分かった。
見たブログのいくつかには、烏八臼を尋ねて各所に行ったという記述もあるから、マニアでもそうそう簡単にお目にかかれない字のようだ。
しかし、この千賀の墓所にはずらりと並んでいる。
千賀家が、なぜ代々、この文字を墓標に刻んでいるかも含め、調べがいがある。
やれやれ、また仕事が増えた・・、と言うが、内心、とても喜んでいる私であります。