病気と罰
脳梗塞で入院中のこと。
病院は脳梗塞などで身体の不自由な患者は、あえて食堂に集めて食事をとらせる。ベッドにいるよりリハビリになるからだ。ぼくも3度の食事はここでとっていた。
食堂で日焼け顔の初老の男性とよく向かい合わせになった。
彼とは何度も席が同じになっている。但し、一度もしゃべったことはない。以前、ぼくが話しかけたことはあったが、返答もなく、そのままだった。多分、彼は誰にでも、そうなのだろう。いつも黙って不機嫌そうに食事をしている。
彼は右手、右足が相当に不自由で、左手のスプーンでたどたどしく飯を掬っている。歩けて両手が使えるぼくとは比べものにならない重度の障害が彼にはある。
ある日、たまたま彼と向かい合わせになった。
「あなたも脳梗塞ですか?」と、ぼくは話しかけてみた。しばらく返事はない。まただ… と、ぼくは不愉快に思った。
その時、彼が口を開いた。弱弱しい声だ。
「…働いて、働いて。何の贅沢もせずに働いて。その結果がこのザマだ…」。
彼はぼくの目も見ず、独り言のようにそうつぶやくと、また黙って左手のスプーンで飯を掬った。めし粒がいっぱい彼の膝にこぼれた。
ぼくは冷水を掛けられたようなショックを受けた。
彼は顔が真っ黒になるほど働いて来た。年中、汗をかき、長年、働き続けたのだろう。すべての私欲や贅沢は捨てて働いたのだろう。誰のためだろう。家族のため? 家のため? 少なくとも自分のためではない。
反面、ぼくはどうだろうと思ってしまった。
自分のやりたいことだけをして生きてきた。好きな物を食べ、好きな物を飲み。自分の身の丈(収入)に合わぬ贅沢をして来た。
仕事を言い訳に、何万円ものめし。何万円もの酒。日に80本のタバコ。観劇はS席、相撲は溜り席。移動はタクシーチケット、グリーン車・・・。
際限のない、わがままな生活だった。
ぼくこそが罰を受けるべきだ。
何の贅沢も知らず働き続けて来た彼の身体に、あんな不自由を与えた神は間違っている。
そう思った。
ぼくは彼に返す言葉もなく飯を食った。右手で、箸で喰った。
あれから彼には会っていないが、あの日焼け顔と、あの言葉は忘れることはないだろう。