突然現れる故郷
「脳梗塞記念日」その3である。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのは確かだが、激痛を伴うわけではなく、それこそぼんやりと三途の川で船を待っているような感じだった。
三途の河原で酒盛りこそしなかったが、もう識者はお分かりのことと思うが、この光景は上方落語の名作『地獄八景亡者戯』(じごくばっけい・もうじゃのたわむれ)そのものである。
死の間際に落語とは不謹慎! だからこそ船頭は逃げたのかもしれない。
しかし何ですな、人間、死のうとする間際、案外とつまらない夢を見るものですな。
その夜だったか次の夜だったか、ぼくの脳裏に俳句が一句、浮かんでは消えなかった。まるで記憶にない句だ。ぼくの作品でもない。
物書きて扇引さく余波哉 (ものかきて おおぎひきさく なごりかな)
ぼくの記憶にない句がはっきりとみえる。聞こえる。
何だこの句は? 何なのだろう? と思いながら数ケ月、退院したぼくはネットで検索。すると一発で解明する。作者は芭蕉。有名な句だった。
芭蕉の『奥の細道』の旅の終盤のこと。金沢から加賀、越前丸岡まで芭蕉を送って来たのは、後に「蕉門十哲」とされた北枝という俳人。芭蕉が彼との分かれを惜しんで詠んだ句だった。
ああ、そうだった、知らないわけがないのだが、すっかり忘れていたようだ。その句が死の間際にいるぼくの肩を叩いたのだ。
句の解説はこの場では止めておくが、別れの淋しさに溢れる秀句だ。
ところがですな。ぼくはこの句を記憶していなかった。『奥の細道』にある60数句はほとんど知ってるはずなのに、この句の記憶だけは飛んでいた。
でも、ぼくの死の間際、ぼくに語りかけてきた句は、まさにこれなのだ。
わが故郷、金沢そして加賀路の句なのである。
物書きで歌人のぼくが、故郷を忘れ、辞世の歌も遺さずに死ぬことを閻魔さんが怒って、ぼくにこの句を思い出させたのかもしれない。
ならば狂歌、腰折れ一首。
「物書きて扇引さく余波哉」引き裂きそこね戻るこれの世
ではまた。
写真は丸岡市天竜寺にある「余波の碑」。雪の日に防寒のゴザをかぶせてあるのが面白いので、ネットから無断コピペ。このような防寒用のかぶり物を加賀地方では「ゴザ帽子(ござぼし)」と言っていたっけ。