終戦の日の動員学徒たち/『中島飛行機の終戦』より

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 昭和20年8月15日終戦。
 動員されていた学徒たちは「速やかに帰郷させよ」の命令で続々と駅へ集まっていた。同16日から数日は国鉄半田駅、乙川駅は帰郷する学徒たちで溢れていた。臨時列車も出された。
 ところが、その日の光景は私たちの想像外のものだった。
 拙書『中島飛行機の終戦』のその1章を転記する。

一、動員学徒と女子挺身隊

 終戦となり、各地から動員されていた学生たちが帰郷を始めた頃である。半田製作所に近い国鉄半田駅、乙川駅には毎日、毎日、別れの光景が見られた。
 しかし、ちょっと変わった雰囲気なのである。
 男子学生の多くは口を真一文字に結び、悔しさをみせている。あるいは、敗戦を嘆き号泣する者も少なくない。号泣する友の肩をどんどんと叩く男も泣いている。
 ー日本は本当に負けたのか…。信じたくない男たちである。
 女子学生も泣いている。但し、彼女たちの涙は男たちとは明らかに違う。それは暫く住んだ土地を離れる感傷の涙。帰郷できる感動の涙。いわば嬉し涙なのである。
 その証拠に、寮を出て、駅までの道すがら、彼女たちは手を組み、声を合わせて歌を歌って歩いて来たのだ。
 ♪ラ・ラ・ラ 赤い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ♪
 明るい明るい、女学生の歌声だった。
 この学徒と呼ばれる男子学生と、女子挺身隊と呼ばれる女子学生との温度差は、単なる性差なのだろうか。彼ら、彼女らの戦時中、終戦直後をみてみる。

 と本は続く。
 この瞠目すべき駅の風景・・。なのである。

 *写真は男子寮の襖の裏に残されたもの。終戦後2ヶ月もたった10月に書かれた。まだ負けたことを悔いている。ああ男の悲しさ、だろうか。

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