終戦記念日

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3年前、2010年8月例会だった。「終戦の日の特集」をした。
主に、
「あなたは終戦の詔勅のラジオ放送(玉音放送)をどこで聴きましたか」
だった。

100人を超える人に聞き取りやアンケートを取った。
家で聴いた。学校で聴いた。会社で聴いた。隣の家に集まって聴いた。道端で聴いた。
さまざまな答えがあった。

ところが、不思議なことに、「聴いていない」、「そんなもの知らない」という声はほとんどなかった。

よく聞き込んでみると、多くの人は「たぶん聴いたと思う」「聴いたはずだ」「場所は覚えていない」・・・・・

そうなんです、ライブで聴いたつもり、が大半だった。

その証拠といえるのは、ほとんど全員が、
「雑音が多くて何を話しているのか意味がわからなかった」
といったことだ。

 玉音放送のすべて(約20分)を聴いた。
 まず、司会の政府高官の「畏くも・・」の一言。
 そして、天皇陛下の詔勅。
「朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ・・・・」
 それが終わると、アナウンサーが、丁寧に「終戦の説明」をする。言葉は選んでいるが、誰が聞いても終戦=敗戦の知らせだ。

だから、「何を話したのかわからない」というのは思い違いだ。
少々聴きづらくとも、内容はわからないことはない。

この思い違いは、後年、繰り返し、繰り返し流された、
「朕深く・・・」の玉音。
その声が、まさに神の声として脳裏にこびりついていて、まるでライブで聴いたような錯覚に落ちいっていたのだろう。
どうやら、これが真実のようだ。

人間の記憶はその程度、儚いものだ。
儚い人間の記憶は戦争の傷みも忘れているようだ。

写真の死体。
そこにバックグランドミュージックのように流れる声が、
君には聴こえるかい。

「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」。

この屍が、万世ノ為ニ太平ヲ開ク 死であってほしい。

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