義朝の風呂は?

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 前回の小生のブログ、「義朝時代の風呂は今のサウナ風呂のような――」にご意見が殺到(1件だけど…)!
 要するに、義朝が入った風呂は「冷泉」だったというご意見だ。風呂を沸かす、湯気を立ててそれに浴するという習慣はもっと後だ、というのである。

 そうなのか… と思い、関係の文献をパラパラと見ていると、こんな伝承が美浜町に残っていた。
 「義朝が暗殺されてから、その湯殿の湯は、冷泉に変わった」。

 と言うことは義朝が入浴時は冷泉じゃなく温泉だったということ。あそこには温泉が出て、義朝は温かいお湯に浸かっていた…ということになる。
 たしかに美浜町の海岸沿いには温泉が湧いている。内海温泉、野間温泉。平安や鎌倉期にも当然あちこちに出ていたろう。

 長田は義朝を屋敷よりかなり離れた“温泉の湧いている場所”に案内したのだろう。

 冷泉説。サウナ説。温泉説。
 源義朝の最期の入浴はどんな風呂だった?

 お答えをお待ちします。
◆写真は義朝暗殺時の絵図。下帯をしている。また、右に湯気の立つバスタブ? が見える。但しこの画は幕末に描かれた『尾張名所図会=小田切春江』のもの。

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