能登はやさしや土までも
9月15日、榊原弱者救済所跡を視察に訪れたのは石川県羽咋市保護司会のご一行17名。昨年来、愛知県下の各地や静岡県の数カ所からはおみえいただいたが、石川県からは初めてのご訪問である。
羽咋(はくい)といえば能登半島の中程、まさに遠路ご苦労様ですと申し上げたい。
ご一行は現地を視察。その後、鴉根区民館に移動。ぼくが「榊原亀三郎と弱者救済事業の苦労と実績」のような話をさせていただく。そして、拙書『幸せの風を求めて』や絵本『いばりんぼうのカメ』、DVD『榊原亀三郎物語』などをお買い上げ願うように必死に啖呵売!
それがいつものスタイルである。
おっと、誤解のないように申し上げる。本の売り上げは榊原弱者救済所保存会の活動資金となる。ぼくの利益では決してない。
弱者救済事業は辛くて金にはならないのだ。昔も今もそうなのだ。・・・それでいいのだ! 念のため。
さて羽咋の皆さまを前に講演する時、危なくも目頭が熱くなった。
実はぼく、石川県金沢の出身。能登の羽咋や七尾、輪島にも馴染みがある。親戚もある。ご一行の会話には懐かしい故郷訛りがいっぱいだったからだ。
能登地方はこう言われている。
「能登はやさしや土までも」。
「土」は地面の土でもあるが、人間の根幹との意味だろう。裏も表も優しいということだ。つまり、他人への気遣いができて、人情味豊かな人が多いのが能登である。
なぜ?
昔々、妻の優子と金沢へ向かった汽車の中でのことである。冬の日だった。加賀平野は一面の雪景色。雪の平野の中に、ぽつんぽつんと家が建っている。ぼくには見慣れた故郷の光景である。
それを車窓から見て優子は、
「この地方の家々は近所と仲良くしていかないと暮らせないね。自分勝手な人じゃ生きていけないね」。
こんなに深い雪に閉ざされた日々では、近所が助け合っていかないと暮らしが成り立たないだろうと、しみじみと言うのであった。
彼女の見ているのは加賀・金沢の景色だが、能登の冬はさらに厳しい。隣の家に行くのさえも大変な日もあるし、風雪で村が陸の孤島になってしまうのも珍しくはない。
だから、厳しい自然の中で生きるためには、他人を気遣い、また、他人と手を取り合っていなければ冬将軍には太刀打ちはできないのだ。
「能登はやさしや土までも」。
日本中がそうあって欲しいとつくづく思う。
そんなことを思い出させる一日であった。