脳梗塞記念日
「まだ生きているよ」と叫んでみたいから 10月6日は脳梗塞記念日
ふざけて話すことではないが、1年前の10月6日のぼくは、まさに死線をさまよっていた。
前日の5日の夕方、下半身が麻痺。歩けなくなった。
ところが6日は大阪府保護司会での講演の仕事が入っていた。半年も前からのオファで、大阪の名士が200名以上もお集まりになる会だ。まして講演者はぼくだけ。行かないわけにはいかない。
6日朝も相変わらず下半身は動かない。でも幸い、生意気を言う口だけは無事だった。
芸人は舞台で死ねれば本望というが、作家はどこで死ぬのが本望なのか分からぬが、ともあれ、「行かねばならぬ! 行かねばならぬ!」。
今になれば自慢話のようだが、必死の強行軍でこの仕事をこなした。
JRにお願いして車椅子を手配してもらい、朝7時に乙川発→名古屋→新大阪と車椅子リレー。新大阪からタクシーで会場のシェラトン都ホテルに10時前に到着した。
JRさんありがとう。もう悪口は言いません。
恰好は悪いがホテルが用意してくれた車椅子で登壇。
出来は良くないが、「榊原亀三郎と弱者救済事業」を80分話した。不思議なもので壇上では意外と元気が出る。
見栄を張って言えば、使命感とか責任感とかいうやつが身体を支えてくれていたようだ。200名を超える人たちの眼もぼくを支えてくれていたようだ。
講演が終わり懇親会。失礼したかったが、この会はぼくが一枚看板。中座はできない。ここまでは仕事だとがんばる。目の前に一流ホテルの料理が並ぶが手が出ない。大好きなビールもコップ半分も飲めない。
終会。帰りは大阪に留まるつもりだったが、そんな気にはとてもならず、一目散に半田まで帰る。夕方7時過ぎ帰宅。
バタ! と仰向けに倒れ、救急車。ICUへ。
ここで初めて病名が脳梗塞と知る。
医師が言う。「発病から4、5時間なら有効な治療法があるが、あなたは発病から24時間も経っている・・・・。」
直らないと宣告された。
それを聞きながら、ぼくの意識は薄れたり、戻ったり…。薄れたり、戻ったり…。
「人間、こうして死んで行くのだろうな…」、と思いながら眠ってしまった。
10月6日、ぼくの脳梗塞記念日である。
その夜、2つの夢を見た。はっきりと覚えているその夢のことは次回に。