藤八家、一つの家に二つの苗字
藤八小話②
「現在の石川藤八家の御当主は松本さんです」と言うと、大抵の方は怪訝な顔をする。苗字が違うのであるから当然かもしれない。七代目石川藤八、本名松本市松が藤八家に養子として入った時点で、藤八家の中に石川姓と松本姓の二つの姓が同じ家の中に存在することになった。
いくら明治の時代とはいえ、それ程あることではないだろう。七代目藤八には「たき」という一人娘がいた。この娘に西尾から婿をもらった。生まれた娘を三祢(みね)と言った。もちろん松本三祢である。しかし、婿が三年足らずで亡くなってしまった。そのため、もう一度「たき」に鷲津から婿をもらった。婿は六代目夫人きくと養子縁組して石川姓となった。生まれた娘が「八重」である。当然、石川八重である。
三祢が成人して亀崎から銀三という婿をとった。男の子一人女の子一人の3人の子供が生まれた。苗字は松本である。しかし、幼い3人の子供を残して三祢が他界してしまう。そうすると、松本銀三は三祢の妹石川八重と結婚し石川銀三となった。男の子が一人生まれた。その八重も子供を生んで一年後に亡くなってしまった。
石川藤八家の実権は九代目夫婦ということになった。十代目予定の銀三の立場は微妙なものだったと思われる。
そして時代はくだり、三祢の長男である松本信司氏が石川藤八家を継いだ。現在の御当主は信司氏の長男宏司さんである。この下手な文章で関係性をすべて頭の中で組み立てられる人は尊敬に値します。
* 写真は藤八の娘たき、佐吉の長男喜一郎、佐吉の妻浅子の乳母である。
しかし、謎の多い写真である。たきは養子の八代目藤八に亡くなられて半年、一歳三ヶ月の娘を持つ21歳の母。写真の場所は名古屋市上茶屋町。若い娘のように見えるが丸髷を結っているので既婚者と分かる。失意の写真なのか、名古屋で気分転換なのか。