豊田家の先祖

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 豊田章男氏は喜一郎の孫という紹介の仕方で、ニュースに取り上げられることが多い。時には豊田佐吉のひ孫にあたる、豊田章男氏ということもある。最近では日本中で、もっともよく知られた家になった。
 だが、しっかりとたどることのできる、豊田家の歴史はそれ程古くはない。長男だけをさかのぼって列挙してみると次のようになる。章男・章一郎・喜一郎・佐吉・伊吉の5世代である。その先は確実な資料はない。
 豊田佐吉の父伊吉は「豊田家の先祖は豊田与太夫という。今川氏の拠点である浜名湖西岸の宇津山城の武士であった。だが、徳川家康によって落城し、豊田与太夫は太田村青平に逃げ、百姓になった」と、繰り返し佐吉に話をしたといわれる。これは「豊田佐吉傳」「豊田自動織機四十年史」に出てくる話である。
 豊田家の本家は豊田吾吉家だといわれている。しかし、佐吉の父伊吉の実家は佐原家である。その佐原伊吉が豊田吾吉家の新家を再興して豊田伊吉になった。これが最もよく引用されている話である。
 だが、これ以外にも佐原家には別の話も伝わっている。この話は少し複雑なところがあるので、またの機会にしたい。
 とにかく、有名になると一族すべてが注目されることになる。「有名になりたいと思う心」も全くないとは言えないが、気楽な生活というのは何にもましていいものである。そう思いませんか。一日だけなるとしたら、天皇陛下、総理大臣、トヨタ自動車社長、ぺ・ヨンジュン、さてどれがいいかな。

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