豪雨災害・被災お見舞い そして雑感
西日本の豪雨災害により被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
西日本の豪雨災害のテレビのニュースを見ていて「広島県三原市も被災、死者も出た」を耳にした。三原市はぼくが東海近世文学会でお世話になっている島田大助先生(豊橋創造大学教授)のご実家のあるところ。島田先生には当会の3月例会にもおいでいただきご講義を願ってもいる関係だ。
メールを送り、ご実家の安否を訊いた。大災害だから無事ということはないのだが、特段の被害はなかったという。一安心であった。
その後、ぼくがこんなメールを送った。
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天変地異の猛威への恐怖は直面したものしか分かりませんね。テレビで見る被災現場も凄いですが、所詮、他人事です。ぼくは阪神淡路大震災の被災者ですので(軽度ですが)他の災害を見るたびにあの猛烈な揺れの恐怖を思い出します。
ついでに思い出すのがこれ。
震災は平成7年1月17日。その週末の22日に博多で講演の仕事が入っていました。
先方の主催者は再々連絡をとろうとしたようですが、2、3日は電話は不通。数日後、ようやく電話が通じた。だが先方の心配はぼくが来るのか、講演が予定通りできるかどうかばかり。「こんな大震災も案外、他人事なのだな」と痛感。
そして当日、大阪から博多まで山陽新幹線は不通。山陰線廻りはあったのですが乗り換え、乗り換えで気の遠くなるような時間がかかりそう。そこで名古屋まで戻り、小牧から飛行機で博多へ行きました。
指定のホテルに着くと先方の担当さん。「関西は大変ですね・・」と儀礼的なお見舞いのあと、「博多は水不足で大変なのです。このホテルも夜の11時以降はお風呂に入れません。不自由です。不自由です。」と嘆くことしばし。
風呂ぐらいなんだい、ぺちゃんこの神戸の街を見せてやりたい、と思いました。
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このぼくのメールに島田先生から返信。(これは島田先生に無許可での掲載です。多少は人の災害意識の啓発になるものと強引に思い・・、叱られないことを祈る)
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私(島田)も同じような経験をしました。
阪神淡路大震災後の2月に友人の結婚式に参加するために三原から東京へ行きました。飛行機は満席、結局、神戸の市内を一部、バスと徒歩で移動し、東京へ行きました。9時間くらいかかったと思います。
結婚式に参加し、移動が大変だったと話したところ、友人の新郎から、何かあったっけという返事が返ってきました。別の国にきた感じでした。
どんな大震災も他人事なら痛みはない。対岸の火事。
別に教訓めいたことを言うつもりはないが、他人の痛みを己の痛みと思えるようになりたいものだ。これは、ぼく自身へのメッセージでもある。
*写真はぺちゃんこの当時の神戸