金原明善と山岡鉄舟
ヤクザだった榊原亀三郎を偉大な慈善事業家に育てたのは金原明善であり、山岡鉄舟の一門の元武士たちだった。そのことを初めて知ったとき、ぼくはかなり興奮した。
というのも、拙著「幸せの風を求めて」のキーポイントは、亀三郎というヤクザ者がどのような過程を踏み、1万5千人もの弱者を救える大人物になったのかという点だったからだ。
刑務所で出獄人保護に熱心な川村矯一郎に出会い、川村の紹介で金原明善に会い、説諭され真人間に。そこまではすぐ分かったが、その人間形成の手段というか方法というか、それが分からず悩んでいたのだ。具体的いえば明治24年頃から同30年の間の亀三郎の行方である。
そして見つけたのは山岡鉄舟とその門人たちだった。
彼らに剣術を習い、学問を習い、近代思想を習った亀三郎は、一転、社会事業家の道を歩み始めたのだ。そこで習得したのは武芸や学問ばかりでなく、「人間」そのものだったのだろう。
人生の全てをかけての慈善事業は、そう簡単に出来るものではない。まして多くの人の支援がなければ30年間、1万5千人もの弱者を救う大事業は叶わない。それだけの人を説得し、ひきつける魅力が亀三郎にはあったということだ。それを生み育ててくれたのは山岡鉄舟だったのである。
山岡と金原は盟友。その話は後日にしたい。