飛田東山を求め青梅から御岳峡谷へ
ぼくは杖がなければとても普通に歩けない。極端に言えば二足歩行の困難者である。
その歩行困難者が何と峡谷の細い坂道を400㍍も歩いたのだ。歩いたのは奥多摩の御岳峡谷。そこに飛田東山の心の師であり、盟友でもある川合玉堂の美術館があるから、その取材である。この美術館は飛田が中心となり建立したものだ。
青梅線御岳駅に着く。目の前が多摩川上流の渓谷。駅前に看板。「玉堂美術館まで470メートル」。健常者なら軽い散歩の距離だがぼくには無理。駅の案内所で「タクシーはありませんか」と訊くと、「青梅から呼ばないとないよ。どこまで行くの?」「玉堂美術館です」。青梅からここまで電車で35分の距離。案内所は呆れた顔で「そりゃ無理でしょう」。
よし! 歩くぞ! そして・・・。もう言いたくないよ・・。
御岳橋の上からみた峡谷。深さ50㍍はある。
渓谷の下、写真の中央上に建物らしいものが美術館。あそこまで細くジグザグな坂道を下った。
玉堂美術館である。
美術館の前に(ちょと分かり難いのが不満だが)飛田東山の顕彰碑があった。
飛田が生前「ちっとも似てない」と言っていた。
多摩の開発に尽力した飛田。その顕彰碑もあった。大きな石碑。彼の功績が彫ってある。
青梅に帰った。青梅駅である。
古い映画看板が。懐かしい。
そして飛田邸に。まずは近くにある飛田の墓碑にお参り。碑には「東山 飛田勝造眠」と自筆の揮毫だ。それもそのはず、これは飛田が自分の還暦にあわせ生前葬をした際に建てたもの。生前葬には1000人を超える参列者があった。
詳しくは来年早々に刊行する拙書で。