1月例会 家康の逃避行、常滑か篠島か

令和3年1月例会は1月17日。感染対策を万全にして開講した。

今回は小林和彦氏の「本能寺の変、家康の伊賀越え後の逃走ルート」。

西まさるの「忠臣蔵をナビゲーターにして、江戸の食文化を探る」である。

本能寺の変の時、家康は堺にいた。そして光秀の追撃を恐れ、地元岡崎へ向けて逃げたのだが、「神君伊賀越え」で知られた伊賀路から白子の港までの道筋はほぼ分かっている。ところが、それから知多半島に来たという説には幾つかあり、白子→常滑(大野)→半田・常楽寺→岡崎が有力とされていた。ところが篠島にその日に家康が来たという記録があった。

その辺りを小林氏は現地を訪れて調査、その結果の発表である。

西の講座。

内匠頭の最後の晩餐は湯漬け。勅使饗応の会席膳の献立の紹介。江戸の酒、蕎麦屋、四文屋、けんどん屋。浪士の討ち入りの後の食事。面白く楽しい講座だったと自画自賛しておく。

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