11月例会 昭和20年8月から7年間、日本は占領国領。日本でなかった。

*ブログ、長くさぼってしまった。実は罹病以来、作業効率が格段に低下、いままで1日でできた仕事が3、4日かかるようになってしまった。そこに『知多半島郷土史往来6号』の編集作業が追い被さり、ここ1ケ月は重労働、重労働。ブログどころではなかった・・・・、言い訳終わり!

 

11月例会はゲスト講師の都合もあり、西まさるが一人となった。

しかし、「終戦後の誰も言わなかった日本の実情。日本が日本でなかった7年間」は大ネタ。2時間くらいは問題ない。

敗戦。占領軍が日本に進駐。日本の占領、日本人への暴行や強姦事件も数万件あった。そして宣撫活動。そんな占領時の実態は殆ど伝えられていない。占領軍によって完全に隠されていたのだ。

それを及ばずながら調べてみようと思っている。

まず、検閲。今回に例会で示したレジュメの冒頭部分だけ転載する。これが検閲の実態である。

 

(1)GHQによる検閲の時代
①、占領軍の統制の実態
7年間にわたって、新聞報道を規制した「日本新聞遵則」(放送も同様)には、「連合国最高司令官は日本に言論の自由を確立せんがため、ここに日本出版法を発布す」と冒頭にあるが、「連合国進駐軍に不信、憤激を招来する記事は一切掲載すべからず」とあるように、実態は厳しい検閲方針の発布だったのだが、残念にも日本人はまったく抵抗していない。

②、「削除または掲載発行停止の対象となるもの」の一例を示すと以下の通りである。
・連合国戦前の政策の批判
・連合国最高司令部に対するいかなる一般的批判
・極東軍事裁判に対する一切の一般的批判
・日本の新憲法の起草にあたって連合国最高司令部が果たした役割についての一切の言及
・出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する直接間接の言及
・アメリカ合衆国に対する直接問接の一切の批判

これに加えて、連合各国への批判も検閲の対象となっており、
☆満州にソ連軍が侵入して行った略奪の報道も削除させられた。
☆占領軍による言論弾圧は、焚書や私信の開封までやるという、歴史的に見ても野蛮きわまりないものだった。
当然、言葉の壁のために多くの日本人が検閲に参加・協力しているが、検閲官であったことは一生の秘密とされたから、今日まで名乗り出た人はごくごく少数にとどまっている。また、GHQは巧妙にも戦前のように削除部分を×で置き換えたり、塗りつぶしたりするようなことは許さず、あたかも検閲などされてないかのように必ず版を組み替えさせてもいた。               (参考=「国土技術センター」資料)

 

ああ、と言いたくなる実態だ。今後も調査を続ける。

11月例会=半田東区民館の模様

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