豪商・千代倉を探しています

竹内 貞芳

知多半島の北端にあって東海道の宿場町としても有名な鳴海。そこに千代倉という屋号をもつ豪商がいた。家名は下郷(しもさと)である。
千代倉は、尾張城にアポなしで入れたなど、尾張徳川家と強い繋がりを示す逸話が多く、実際、同家に残る「千代倉日記」には尾張家の家老で大名の成瀬家から毎年暮れに歳暮が欠かさず届いている記載もあって、その豪商ぶりが偲ばれる。
また、東海道五十三次には、大名向けの「本陣」が各宿場にあったが、東海道中最大の面積を持つ本陣は、鳴海宿下郷家で、676.5坪。これは本陣の平均の3倍であったというからかなりの差。東海道でも飛びぬけた大店だったのだろう。
主な仕事は酒造、酒販だったようで、知多郡の東浦酒造大行事を務めるなど知多半島の酒造販売に大きな利権を持っていたようだ。
また、当主の下郷知足は俳人で芭蕉のスポンサーであった。
そのあたりは俳句の研究者が詳しいだろうから細かくは書かないが、あの有名な「野ざらし紀行」「笈の小文」の出発点も終点も下郷家のようだし、「おくの細道」も知足が深く関わっているようだ。また、あの与謝蕪村も山口素堂も下郷家に出入りしていたと思われる。
私が千代倉に興味を持ったのは、私の郷土、半田市乙川にある「海蔵寺」の本堂に隣接して建つ庫裏が千代倉の本家の移築物だったことを知ってからである。
太平洋戦争後、財閥解体などの影響があったのだろう、下郷(下里)家は没落の一途を辿り、手持ちの美術品や道具類を売って凌いでいたようだが、昭和30年、ついに本宅を売り払うに至った。
実は、その工事を請け負ったのが私の祖父・竹内重次郎だった。その愛着もあり、どうもこのところ千代倉にはまってしまっている。
そんな有名な千代倉だが、意外に資料は少ない。例えば、この本宅の建築年も不明。また、酒を江戸へ運ぶ船を持っていたはずだが、その記録。
千代倉の情報などお知りの方は、ぜひお教え願いたいと思う。私もできるだけ知り得たことは積極的に発表するつもり。ぜひお力をお貸し願いたい。
*なお、海蔵寺さんの庫裏は、ご住職一家の住居につき、内部の見学はご遠慮ください。

(H19.6.30)