傍説・清水次郎長傳
西 まさる
「男稼業はつらいよ」・・その1・・
清水次郎長というスーパースターがいた。ヤクザ者とはいえ超有名人だから、おおかたは名前くらいはご存じだろう。そして次郎長は、ほとんどの人にこう思われている。「義理人情にあつく、弱きを助け強きをくじく、海道一の親分、男の中の男」。ヨッ!と掛け声の一つも出そうな、いい男である。
しかし、その偶像(ポテンシャル)は浪曲や芝居、映画が作り上げたもので、実際の人間次郎長とは、かなり遠いものだ。
そりゃそうでしょう、人助けや弱い者の味方ばかりしていたのでは、ヤクザ稼業は成り立たない。子分におまんまも食べさせられない。とかくヤクザは銭のいるものである。
清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする、なんて台詞を紹介するまでもなく、次郎長には二十八人衆といわれる直参の子分がいた。二十八という数字そのものは怪しいが、まあ、細かいことは言うまい。大事なことは、その子分衆に、更に大勢の子分、身内がいるということである。それに二十八人が清水の次郎長の家で集団生活をしているわけではない。それぞれが家庭を持ち、なかには一家を構える親分もいる。そんな連中が、シマといわれる縄張り、すなわち利権を次郎長から預かって非合法に稼ぎを上げ、生きているのだ。
親分と子分の関係はそんな経済的結び付きが主なのであって、義理や人情はその為の口実と言っていい。だから、親分は子分の生活を維持するため奮闘する。しかし、非合法手段での継続的な入金はそう楽なはずはない。次郎長親分も例外ではなく、日々資金調達に四苦八苦していたと思っていい。 清水次郎長は頭の良い男である。それもそのはず25歳までは大きな米屋の若旦那。商売人としても立派にやっていた。ちょっとした行き違いでヤクザになったのが26歳。ヤクザデビューとしてはかなり遅いものだ。
当時のヤクザ者は、貧乏人の食いっぱぐれが、ぐれてしまって暴れ者に、が、典型である。頼りになる親戚も学問も金もない連中ばかり。その世界に次郎長が小金を懐に入ってきた。
さっきまで商いをしていた次郎長、人を使うことは慣れている。まして相手は飯さえ食わせておけば意のままになる連中。一気に次郎長は兄貴分となった。
さて、この続きは近日中に。
何? なぜ、はんだ郷土史に次郎長ってかい。次郎長の養女おけんは乙川村(現・半田市)の出身。次郎長の女房、3代目おちょうは三河藩藩士の娘といわれているが、これは疑問。彼女も乙川村縁の女性である。
そんなことで次郎長さんは乙川村縁の人。この村に残したエピソードも多い。乞うご期待!