千代倉さんごめんなさい
西 まさる
写真は半田市乙川若宮町の清涼山海蔵寺の本堂の隣に建つ庫裏。庫裏とは僧侶の居宅である。
総二階、一部三階で銘木をふんだんに使った堅牢な建物は、鳴海の千代倉(下郷家)の本宅だったもの。それを昭和30年に海蔵寺に移築した。
ここまでは間違いなし。
ところが、この本宅の移築の経緯を私達は早合点してしまい。『終戦後、財閥解体などの影響があったのだろう、下郷家は没落の一途を辿り、手持ちの美術品や道具類を売って凌いでいたようだが、昭和30年、ついに本宅を売り払うに至った』と書いてしまった。
過ちである。正しくは、「昭和19、20年の東南海・三河地震で海蔵寺は大きな被害を受け庫裏は全壊した。庫裏を失うのは住まいを失うこと。それを気の毒に思った下郷家が、空いていた建物の一つを寄進した」のである。
「どういうご縁で海蔵寺さんと…、は調べておくが、移築費用も下郷がお出ししたと聞いている」。
これは先日、西が下郷家の方に直接お聞きしたことである。
下世話な人間は自分の物差しで価値判断をしてしまう。昔日の勢いはなくとも天下の千代倉。本宅まで売るわけがない。
ごめんなさい。
(西まさる=はんだ郷土史だより18号より)
*なお、海蔵寺さんの庫裏は、ご住職一家の住居につき、内部の見学はご遠慮ください。