飛田勝造という昭和の傑物

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 飛田勝造という昭和の傑物がいた。政財界では東山先生と呼ばれている。昭和の政財界で彼をは知らない人は誰一人いない。昭和の侠客世界でも彼を知らない人は誰一人いないはずだ。
 東山先生はある意味、昭和作ったともいえる仕事をした人だ。
 どんな仕事をした? 一口に言えば一般庶民、それも貧しい人たちが普通に飯を食えるようにする手助けをした。それで括れるはずだ。その為には権力・巨悪とも怯まず戦った。その一つの手段だろう、彼の身体には立派な入れ墨が彫られている。「唐獅子牡丹」である。

 この東山先生は表面には出てこないフィクサーだから一般の人が知らないのは無理がない。しかし、高倉健の唐獅子牡丹は日本人なら誰でも知っていると思っていた。高倉健演ずる「弱きを助け強気をくじく」唐獅子牡丹のモデルは飛田勝造その人である。
 ところが若い数人に聞いても誰も「唐獅子牡丹」を知らない。ならばと対象を広げて数人に聞いたがこれも駄目。結論は50代前半より若い人は「唐獅子牡丹」を知らないことが分かった。

 ぼくは全共闘世代の先頭の年代である。学生運動にも熱心だった時期もある。運動の加熱したのは昭和40年から45年頃のこと。

 「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている」
 ぼくたちの一つの合言葉でもあった。

 この有名?なフレーズも今はすっかり死語。だからこのフレーズの元が「背なで泣いてる唐獅子牡丹」であることも知る由もないのだ。

 淋しい次第。
 さて今日は第一弾。なぜこんなことをブログに書いたのは後日言いたい。

 なお、飛田勝造がした仕事のひとつを拙書『中島飛行機の終戦』の秘話の章にある。そんな男だった。

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