山本梅荘という無名の巨匠

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 明治後期から大正にかけ、日本の画壇の最高峰にいた有名画家に山本梅荘がいる。半田の人である。
 芸術家がどれくらい偉いかの判断基準は難しいが、彼は当時の文展(今の日展)審査委員。他の審査委員には、竹内栖鳳、河合玉堂らそうそうたる面々がいた。そんな位置にいたことを勘案しても一流の画家だったことは間違えない。

 その竹内栖鳳や河合玉堂は今も「売れっ子」で、「開運お宝鑑定団」でも高値がつくほどだ。しかし、梅荘は無名。栖鳳の画が1千万円の値が平気でつくが、梅荘はせいぜい10万円と聞いた。100分の1の値打ち? 
 日本画(南画)が衰退したから? それもあるが梅荘と同時代に人気を分け合った横山大観や岡倉天心がビックネームのままなのに、なぜ梅荘だけが… と言いたいのだ。

 いろいろある原因の大きな一つは、地元が梅荘の顕彰をしなかったということにある。これだけの画家が地元でも無名に近い存在なのに首を傾げるのは、ぼくだけではあるまい。

 「はんだ郷土史だより」で、山本梅荘一門を2回、特集した。事務局にも5、6本の問合せ電話が入った。多くは「梅荘の作品を持っているが、幾らくらいだろう」というものだが、それでもいい、梅荘に注目をしてほしい。
 もっと早く、半田市の名誉市民にするとか、梅荘記念室を作るとか、そんなことをしていれば、梅荘の値打ちも維持できた。すなわち、画の値段も下がらずにすんだのにね。
 画の値段は画家の人気度に比例する。梅荘の値打ちを上げようとするなら、「梅荘コール」が手っ取り早い。
 ちょっと言い過ぎたかな。

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